教えも答えもいらない
教え
世の中にはいろんな教えがあって、良質そうなアドバイスがたくさんある。それは、「良質そう」なのであって、本当のところ、本当に良質なのかは分からない。
教えに頼る人間は、結局のところ、精神的に寄りかかるなにかが必要な弱い人間。その弱さと向き合うことができずに、寄りかかって、いつまでも弱いままだ。
弱さが悪いわけじゃない。人は誰しもが弱い。
自己啓発でも宗教でも、普段から親しみのある何らかの価値観でも、教えに頼って救われた人間は、教えに頼って救われたい人間が大好きだから、教えを与えたがる。教えという母乳をもらって育ってきた人間が、やがて母乳をあげる側になって、今度は吸ってくれる人間を探す。
弱さは悪いことではないが、そういう風にしゃぶりあって生きてるのを自覚してるのか、自覚してないのか、それだけでも異なってくる。
答え
答えも同じだ。「人生に答えなんてない」というと、答えになってしまうから、あるんだか、ないんだかなあっていう表現が厳密なものだ。
でも、言葉にした時点でそれが答えになってしまうから、無言が一番良いかもね。
生まれたことにさえ、答えがないのだから、最初のオセロがグレーなら、最後までグレーだ。生まれたことに答えがあるとするなら、両親がはあはあして、気持ちよくなりましたってことくらいだw
そこに答えを当てはめて、「人生とはこういうものだ」「これこそが人生で必要なものなのだ」とか、「これこそが本当のものだ」ってやり始めたら、ただ思考と妄想に生きてるバカだ。
どんなに大人の格好をしていても、母乳を吸ってる赤子と同じだ。そういう大人が多いのに、そういう自覚もしないで、偉そうな奴らが多いw
それはただおまえが、安易な教えや答えにしがみついて、安心したいだけだろ?
自分が安心できるものを掲げて、これが真実なのだ、としたいだけだろ?
それに寄りかかって、安心しちゃっただけだろ?
まずは、「それに寄りかからなければ安心できませんでした。今はその価値観に寄りかかり依存することで安心感を覚えています」っていう自分の精神的な弱さを真摯に認めないとねw
教えも答えもいらない
本当の強さとは、そんな弱さを自覚しながら、頼ってることや、寄りかかっていることに感謝しながら生きること。寄りかかっていることをいつも自覚していること。
自覚してない人間に偉そうに何かを言われても、響かないんだよなあ。
もしくは、教えや答えを必要とせず、適度な距離感で、独りきりで歩いて死ぬことだ。
独りというのは精神的なものであって、物理的に友達がいるいない、仲間がいるいない、人に囲まれているいない、誰かを面倒みてる見てない、誰かに面倒見られている見られていない、っていうことではない。
おれは、教えや答えなんていらないから、最後まで独りで歩ききってみたい。
まとめ
まとめると、おれって、人間の根っこのところが心底嫌いなのかもw 本当に強く生きてる人って、ほとんどいない気がするんだよね。
そいじゃ、あどぅー!