老害とは、経験したことがないことをあたかも経験した風に語ってしまう馬鹿のことである。
老害
老害っているよね。
ちょっと長年生きてきただけで、偉そうなやつとか。本当に実のある経験してきたならまだしも、その年まで一体なにを学んできたんだってやつとか。
それでわかった風な口を聞く馬鹿。はやく死んでくれって思うけど、そういうやつに限ってなかなか死なないから、困ったもんだ。
そのなかでも、とくにむかつくやつのことを今回は話してみる。
経験したことがないことをあたかも経験した風に語る馬鹿
とくに、こういうやつが手に負えないって思うんだけど、経験したことがないことを年の功かなにかしらんけど、経験した風に語り始めたら馬鹿だし、もう老害。
バナナに例えると
バナナに例えると、
1.バナナについて考えただけなのか
2.バナナを食べたことがあるのか
ということの違い。
バナナを食べたことがないのに、バナナはこういうものなんだって断言するとしたら、それって馬鹿だよね?
冷静に考えると、すこしはわかると思うんだけど、脳細胞が減ってきたのか、かたくなってきたのか、そういうのも冷静に考えられなくなってきてしまうのかな。
おまえ、バナナ食べたことないのに、バナナについて何語ってんだよwwってなるでしょ。
面白いことに、老害って平気でそういうこと言ってくるよね。少し長生きしただけで、なんでもわかった気になってるんだよ。
老害に出会った
美術でいえば、デッサンしたこともないのに、「デッサンとは、絵とはこういうものだ」って語ってしまう老害。
おまえ、ただの愛好家だろ、デッサンしたこともないのにデッサンした風に語ってんなよw
現役で絵を描いていたり、デッサンしてるやつのほうが、実際に経験してるんだから、何倍も偉いっていうのw
他に例えば、瞑想と坐禅の違いを話す時に、「わたしは同じものだと思う」っていうけど、おまえ10年、20年と実際に坐ったことあんのかよw
瞑想も坐禅もしたことないくせに、それをやり続けたこともないくせに、どうしてそれが同じなのか、同じじゃないのか、なにが違うのか、分かるんだよw
どうしてそこでわかった気になって、わかってる風に語れちゃうのかな。
それはただ「バナナについて考えた」だけだよね。実際に食べた感想じゃないじゃん。そういうの話されても、なにも実がないから、やめたほうがいいんじゃないのかな。
誰しもが老害になる可能性を持っている
話してても思うけど、これってだれでもなる可能性があるよね。年取ってきたエゴで、若いやつらよりも優れてる感、わたしのほうが勝ってる感を出そうとしたときに、なりやすいかもね。
老害にならない方法
老害にならない方法は、感想だけを語って生きようってことになるね。
バナナについて考えただけの妄想じゃなくて、バナナを味わった感想を語って生きること。それは実のある話。
バナナを1年間味わった感想と、バナナを10年間味わった感想って違うからね。バナナを1年間味わった人は1年間分の感想しか語れないと分かるだろうから、そうすれば慎み深くなると思うんだよね。
まとめ
老害っていうのは、経験したこともないのに経験した風に語っちゃう馬鹿のことを書いた。
老害にならない方法は、味わった感想だけを語っていきようってこと。
今回は以上、そいじゃ、あどぅー!